明治維新後の国の発展に尽くした佐賀藩(県)出身の政治家
「大木喬任」の扁額 「彰厥有常」について

額寸法 幅155cm×高さ50cm 横書き、氏名縦書き

 1 書、出展等について

 彰厥有常 大木嵩任

・読み方 彰かに厥の常有り(あきらかにそのつねあり)
                      大木嵩任(おおき たかとう)
・大 意 政治家として、九徳をいつも確かに踏み行なう。
・出 典 ※1『書経』(「皋陶謨(こうようばく)」) 政治家の根本は自ら徳を踏み行うことであり、その徳として次の九項を挙げ、その後で「、吉哉(きつなるかな)」としている。」
1.寛容(心広く)でしかも厳慄(きびしい)であること
2.和柔(おだやか)でしかも廚立(しまりがある)であること
3.謹愿(つつましやか)でしかも供辨(物事をてきぱき処理する)であること
4.治理(物事に明敏)でしかも敬慎であること
5.従順でしかも果毅(決断力に富む)であること
6.正直でしかも温和であること
7.簡約(おおまか)でしかも廉正(筋道を立てる)であること
8.剛毅(意思が強い)でしかも塞淵(思慮深い)であること
9.彊力(実行力に富む)でしかも義善(道理をわきまえている)であること
 2 大木喬任(天保3・1832〜明治32年・1899)佐賀藩出身、政治家
 維新政府の徴士参与となり京都から江戸(東京)への遷都に深く関わった。政治家大久保利通(天保1・1830〜明治11・18j78 薩摩藩出身、西南戦役後暗殺される)らに連なり、※2枢密院や元老院の議長の要職のほか。山県内閣の法相、松方内閣の文相(学制施行に努めた)などを歴任して国の発展に尽くした。また穏厚、誠実な人柄から薩長両藩出身の政治家とも協調して重きをなした。
 なお、現在佐賀県では、大木を同県の「七賢人」の一人としている。

 3 政治家大木嵩任の書と修善寺滞在等について
 書は滞在中に修善寺、菊屋旅館主の求めにより大木嵩任が揮毫したものであり、また政治に携わる者として自らの身上や目指す有徳の政治家像等を吐露したものと見られる。
 一方、大木の当地滞在等についての詳細は明らかではない。が当館には、殊に明治から大正期に皇族、著名な政治家文人などが滞在し、書、絵画等を残した人もあったようである。なお、大木の書の所蔵は佐賀県以外では極めて稀である。


※1『書経』 ・・五経(易経、書経、詩経、礼記、春秋)の一つで、中国の虜、夏、商、周の四代の政道についての書。
※2枢密院 ・・旧憲法時代、国家の大事の関して天皇の諮問にこたえることを主な任務とした合議機関。構成員(顧問官)の定員二十四名。
   元老院 ・・明治初年の立法府

[ 調査・記述  中山高明 ]

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